日本の「識者」には理解できない「9・27安倍元総理国葬外交」の実態
2022年9月27日の「国葬」に向けてメディアは批判を強めている。「弔問外交」の実効性について疑義を呈する識者がいかに多いことか。日本では「外交=話し合い」という国際社会のリアルからほど遠い認識が支配している。本来、外交とは「暴力」と連動してはじめて成立する実務だ。国家外交の縮図こそ暗黒街の「外交」である。その実態から「弔問外交」の意義について解説しよう。
猫組長
2022.09.23
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外交とは暴力を背景にした実務
前回の『「ロシアは何も失っていない」プーチン発言の裏にある世界再編の不気味なリアル』では、ロシアによるウクライナ侵略が、資源・エネルギー産出国とG7による21世紀の階級闘争であることを書いた。「階級闘争」とは前時代的な「死語」のはずだが、2022年9月21日にロシアのプーチン大統領は、ついに部分動員令に署名。「部分」とはいえ「動員令」は第二次世界大戦以来「初」のことである。
ロシア国営テレビより
人類の時間軸が「暴力の時代」へ逆行しようとしていることが改めて浮き彫りになった。
ところが日本では「暴力を抑止するために重要なのが外交」と「国際政治学者」をはじめとする多くの日本人識者、メディアは主張しているが、このロジック自体が誤りだと私は考えている。
この根底にあるが「外交=話し合い」という、極めて稚拙な考え方だ。外交とは平和的な話し合いでもなんでもなく、相手を自身の主張に屈服させる交渉に他ならない。ということで、はじめに「暴力」がなければ「外交」など成立しない。