Twitter買収 偏向メディア「恨み節」の裏にある無限の赤字沼
「マストドンに殺到」に失笑
前回の『祝!Twitter健全化 総斬首キュレーションチームの「毒善偏向」とナチスの類似点』は買収によって実現したTwitter健全化を祝った。
極一部の意識だけが高い無能が「社会の公器」クラスのSNSを意図的に操作していたことは恐怖だ。プラットフォーマーは政府規制から逃れ、基準が各企業まかせになっているリスクを浮かび上がらせることになった。今回の買収によって是正されたものの、将来の経営者が特定の思想に取り憑かれた時には同じことに陥るリスクがあるということを忘れてはならない。
イーロン・マスク氏公式Twitterより
Twitterからは反体制的、HUFFPOSTやポリコレ記事、フェミ系などの、大多数の人にとって「無意味な情報」が流れてこなくなった。
健全な民主主義には表現の自由が不可欠である。何かを批判することを否定する意図が私にないことは強調したい。批判が批判として成立するためには合理的思考とロジックが必要だ。あえて「無意味な情報」としたのは感情任せの「狂気の絶叫」に過ぎないからである。
四六時中耳元で不明瞭な言葉をがなり立てられることを、喜ぶ人はいない。いるとすれば、同じ世界に住む「様子のおかしい人たち」だ。
だからこそ「狂気の大合唱」からの解放を、通常の思考能力を有する大多数の人が喜んでいる。
反対に「狂気の大合唱」の舞台を奪われた、極少数の人たちが買収批判を繰り返すのだ。顕著なのは、「世界の様子のおかしな人たち」が集う「HUFFPOST」である。2022年11月8日には『「マストドン」とは?Twitterから離れた人が殺到』を配信した。
しかし、その前日の同月11日には、マストドンのCEOが、Twitter買収後に新加入したユーザー数が48万9003人であることを発表している。Twitterのアクティブユーザー数は約2億1100万なのだから、0.232%という誤差に等しい人数だ。
これでマストドンに「殺到した」と主張するのだから、その必死さに失笑する他ない。
それ以前に、「様子がおかしな人たち」だけが集うSNSにはマネタイズの効果が生じない。Twitterがこうした極少数の人たちにとって有用だったのは、大多数の一般人が共存していたからだ。
このことは後述する。
今回の買収劇は日経新聞、読売新聞などで否定的に取り上げられている。中日新聞と傘下の東京新聞は、2022年11月9日には『ツイッター買収 公共性を保てるのか』と題した社説を掲載した。同紙は「安倍元総理についてであれば何をしてもかまわない」という「反安倍無罪」を貫いた「偏向一本足打法」で知られる。「公共性」を軸に批判を展開していることにコーヒーを吹き出した私がいたことは言うまでもない。
この批判の背景にあるのは、「偏向メディア」が陥っている無限の赤字沼であると私は考えている。ネットメディアの登場で駆逐されかけたレガシィメディアだが、「保育園落ちた日本死ね」によって新たなモデルを構築。その方程式が崩壊した恨み節としか思えないからだ。
そこで今回はオリジナルの図解を使って、このことを合理的に解説していきたい。
新聞・テレビと55年体制の対立型モデル
まずは下図「55年体制下の情報拡散のイメージ」を見てみよう。